島田荘司:「御手洗潔の追憶」を読んだ感想と、学校教育の問題点について考えてみた。

「この世界自体が、釈迦が木陰で観ている午睡の夢なのです。」

※新潮文庫 御手洗潔の追憶 島田荘司著 P16より引用

こんにちは。読書@toiletです。

読書@toiletの読書日記も兼ねて読んだ本の紹介させていただいてます。

御手洗潔の追憶

本書「御手洗潔の追憶」は、2018年6月現在、御手洗シリーズの最新作となります。筆者は島田荘司先生の、御手洗シリーズが大好きなので、ほとんど全ての作品を読んでいますが、御手洗シリーズというよりも、御手洗潔というキャラクターが好きなので、御手洗潔がほとんど登場しない作品は読んでいないか、途中で投げ出してしまっています。

本作はシリーズの番外編という位置づけで刊行されました。いつもの「ミステリー」という体裁ではなく、御手洗潔やその登場人物にスポットを当てた読み物になっています。例えば、島田先生が、たまたまロスに滞在中の御手洗潔にインタビューしたり、同じくもう一人の主人公である石岡和己にもインタビュー、またはヒロインである松崎レオナからの手紙や、果ては御手洗潔の祖父のお話まで出てきます。ミステリーファンというよりは、御手洗ファンへ向けての読み物と言えるでしょう。

御手洗ファンの筆者にとっては大変に楽しめる一冊でしたが、やはり著者による御手洗へのインタビューが最もおすすめとなります。本書に登場する御手洗潔は、既に横浜ではなく、欧州の大学で脳科学者をしていますが、その中で不登校児童・生徒に対する教師の対応をはじめとする、日本の学校問題に対して、興味深い見解が示されました。

現在の学校教育における教師の問題は「切腹」が悪い:

このように、「一見なにをいっているのかわからない発言」は、御手洗潔の大きな特徴です。これは御手洗潔が、どちらかというと日本というより、欧米の文化を下地としているため、まず結論を先に述べ、その理由をあとからの付け加える話法によるものと、筆者は考えています。ただ御手洗潔の結論が、一般的な思考よりも広い視野から、もしくは深い地点まで行われているため、我々には「突飛なもの」に見えます。

切腹が生んだ世界NO.1の事なかれ主義

現在の教育問題を切腹と結びつけた理由を、御手洗潔は下記のように解説しています。

そうです。切腹ほど怖いものはない。一度命じられたら逃亡も抗弁も許されない。許されるのは、喜んで腹を斬る演技をすることのみです。この制度が、日本人の遺伝子に強烈に、病的なまでの事なかれ体質を刷り込んだのです。切腹なんで罰則があれば、気が狂ったほどの事なかれで行儀を守り、じっとしているほかはない。

※新潮文庫 御手洗潔の追憶~御手洗潔、その時代の幻~ 島田荘司著  P26より抜粋

つまり、日本人の「見てみないふりをする」「臭いものに蓋をする」性質が、災いしている。しかしその性質は、「切腹」という狂気の罰則により、日本人の遺伝子レベルで刷り込まれているため、なかなか解決しないと言っています。

学校で起こる問題、不登校やいじめは、学校側・教師側からすると「解決が大変むずかしいトラブル」です。事なかれ主義をモットーとする日本人は、トラブルが起こると、見ないふり・他人のふりをし、見てしまったら隠蔽しようとする一面があることを見事に捉えています。隠蔽しないまでも、ごまかして有耶無耶にする場面は、学校に限らずビジネス現場でもままありますね。

隠蔽しやすい「学校」という環境

ここからは筆者の考察となりますが、「学校」は、日本人の事なかれ主義に則って、トラブルを隠蔽しやすい環境である、また、事なかれ主義へ傾く力学が働きやすい環境と言えます。

例えばビジネスでは、ある事業会社において、自社の収益のうち多くを占めるような大きな得意先は、可能な限り長く取引関係を保とうとします。従って何かトラブルがあれば、速やかに報告し、謝罪と解決策、解決不可能な場合は補填策と再発防止策を準備し、今後も変わらず関係を継続してもらえるよう全力を尽くします。例外的に、どんなフォローをしても関係を打ち切られてしまうであろう大きなトラブルでは、隠蔽へ舵をきる場合もあるのでしょうが。

ところが、学校では、そのサービスの提供相手となる児童・生徒は最長で6年、短ければ3年で関係が切れます。これは学校が優秀な児童・生徒に「長く登校の児童または生徒として在籍してほしい」と望んでも、絶対に不可能です。

裏を返すと、いじめや不登校の問題があったとしても、その問題を抱えた児童または生徒は、早ければ3年、長くとも6年後には、学校と無関係な存在になるということです。つまりトラブルの原因自体が解決しないまま消滅するとなります。

一方、学校での人間関係、上位組織の教育委員会との関係は、先の述べた事業会社と得意先の関係値に近いものとなります。配置変えはあるでしょうが、基本的には自分が教師でいる限りその関係は継続します。

従って、何もしなくても最長でも6年、のらりくらりと先延ばしにすれば、トラブルの原因自体が勝手に消えてなくなるものを、わざわざ大騒ぎして、学校の上司である校長や、上部組織の教育委員会に面倒臭い思いをさせるインセンティブは、大変に低いものとなります。

更に遺伝子レベルで刷り込まれた「事なかれ主義」によって、不登校やいじめなどの問題を教師が解決することは絶望的である、というのが、どうやら御手洗潔の主張ではないかと思います。

御手洗潔の世界観

本記事の冒頭「この世界自体が、釈迦が木陰で観ている午睡の夢なのです」というセリフも、著者による御手洗潔へのインタビューで出てきました。この時は、脳科学者として研究内容を語っている折に、「研究対象自体(脳細胞とウイルス)が時間によってどんどん変化していくため、研究者というのは、けっこう追われるものなのだ」という話でした。それを仏教の「無常」を引き合いに出して説明しています。

本書での御手洗は、この説明の後「世界はあきらかに何らかの大きな意志のもとに動いている。どこか決まった方角を目指している」と主張し、自身の研究はその世界の前進との競争でもあると述べていますが、筆者は全く別のイメージを持ちました。

筆者をはじめ、あらゆる人間が捉えている世界は、正確には我々の脳が個別に捉えている世界となります。「個別の脳による認識」ということは、それぞれの脳の認識が異なる可能性があるということです。

例えば、筆者が「赤」として認識している色があります。これは信号でこの色が点灯している際は道路を渡ってはいけない色を指します。もちろん筆者以外の他者も「赤色」が信号で点灯している際は道路を渡りません。しかし「赤」という色の認識が同じではないかもしれないということです。ひょっとしたら、筆者が「赤」と認識している色は、他者Aさんが「青」と認識している色かもしれません。そうすると、各個人によって世界の景色は、まったく異なるものになる可能性があります。釈迦が観る木陰の夢も、いつも同じではなく日によって変わるように、各個人によって世界は別の姿をしているのかもしれない。そんなイメージがふと浮かびました。

以上、世界が人によって姿を変えるかも知れない、けど、それが何?明日からやること特に変わらないけど。。。というお話でした。

■作品;「御手洗潔の追憶」

■著者;島田荘司

■種類;ミステリー

■刊行;2016年6月

■版元;新潮文庫

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