池井戸潤:「鉄の骨」を読んだ感想。ゼネコンの仕事内容と談合について考えてみた。

「あの男の考え方は逆だな。金に集まるものは、金がなくなった途端、いなくなる。だから、最初からかねなどないほうが本当の政治ができるはずだと、そんな調子だ」

※講談社 鉄の骨 池井戸潤 著 P333より引用

こんにちは。読書@toiletです。

読書@toiletの読書日記も兼ねて読んだ本の紹介させていただいてます。

鉄の骨

本書は半沢直樹シリーズで有名な、池井戸潤先生の作品です。直木賞受賞作「下町ロケット」や、テレビドラマが大ヒットした「半沢直樹シリーズ」より前に刊行された作品ですが、第142回直木賞候補作であり、第31回吉川英治文学新人賞の受賞作である本書も、文壇からは高い評価を得ています。

ちなみに、本ブログでは「半沢直樹シリーズ」で印象に残るフレーズをまとめています。こちらも覗いてみてください。

参考 「就活生は絶対読むべし。半沢直樹シリーズに見る、サラリーマンの心得14条」はこちら↓

池井戸潤 著 半沢直樹シリーズの印象に残るフレーズをまとめました。

本作のタイトル「鉄の骨」は、続けて読むと「鉄骨(てっこつ)」となります。すなわち建設業界、ゼネコンの裏側を描いた経済小説です。

読者の方はゼネコンというと、どんなイメージをお持ちでしょうか?

現実では「大林組」「大成建設」「清水建設」「鹿島建設」「竹中工務店」という、年間売上が1兆円を超える「スーパーゼネコン」を中心に、雇用・消費の両面から、日本経済に大きな影響力を持つ事業会社を指します。

✔ スカイツリー

✔ 新国立競技場

✔ 新歌舞伎座改修

など有名な建築物のほか、得意分野が異なりますが、橋梁建設や地下鉄工事など国家単位の巨大な土木工事も請け負います。

記憶に残る、また「地図に残る仕事」に携わることができることが、大きな魅力でしょう。

その一方、あくまで筆者個人の印象ですが、公共事業の中心となり、行政からの発注が多く、談合が刑事事件化するなど、少しダーティな印象もあります。

本書でスポットを当てているのは、後者のダーティな一面、公共事業の入札に関する談合の有り様です。

(注)本書の刊行は2009年と、本記事2018年9月からは10年ほど前になるため、現在も下記に記すような談合が行われてるかどうか?また、刊行当時も談合が現実に行われていたか?は不明です。

業務課=談合課

本書のは建設現場で4年ほど経験を積んだ、若手の中堅ゼネコンマンが「業務課」という部署へ異動することから展開します。

本書の中で、業務課は以下の通り、説明されています。

「俺達の仕事は、公共事業の受注だ。だが、普通にコストを見積もって札を入れるだけの入札をしていては、工事は取れなくなる。自由競争になれば最低落札価格に近い札をいれる業者は必ず現れる。なりふり構わず、採算度外視で取りに来る会社がな。多少の赤字でも仕事がないよりはマシだという会社はいまやゴマンとあるんだ。そういう腐りかけの会社のダンピングが続けば、いずれ健全な会社までもがおかしくなる。そうなれば、建設業界全体がおかしくなってくる。それがどいうことかわかるか、平太。」

※講談社 鉄の骨 池井戸潤 著 P49より抜粋

つまり、通常の民間事業者からの発注を取ってくる「営業課」に対し、地方自治体を含む行政からの公共事業の受注を専門に扱う部署ということです。

そして、そこで行われる業務は、、、、そう、談合とされています

もちろん、本書の論調も本書の登場人物達も、談合を良しとしてるわけではありません。以下、更に本書からの解説を抜粋します。

「この日本でな、建設業の関係者は就業者十二人に一人、五百四十万人弱ぐらいの人数がいるはずだ。その多くが中小零細で、体力のない土建業に従事して、細々と食ってる。なんとか食えるのは談合があるからなんだよ。もしそれがなくなってみろ。自由競争になれば、叩き合いが始まる。体力勝負の消耗戦で、中小零細なんかあっという間に倒産さ。大手だって危ないぜ。そうなれば、大量の失業者が出て、経済は大混乱に陥るだろうな」

~中略

「俺だってアレがいいとは思ってない。そのうちなくなるべきだし、なくなるだろう。だけど、いまはまだダメだ。旧来の仕組みじゃあ、談合をなくしたところで、結局のところ、いいことはなにもない。いま、俺たちに大切なことは、とにかくこの時代を生き残っていくってことよ。いまを乗り切れば、そのうち調整なしでもなんとか食っていける時代が来ると信じてだ。」

※講談社 鉄の骨 池井戸潤 著 P49~50より抜粋

なぜ「談合」をしてはいけないのか?

それは資本主義経済の根本的な考え方である、自由競争を阻害する行為だからです。資本主義経済の考え方は、あくまで自由な競争により自然発生的な企業努力から生まれるイノベーションを源泉として、経済発展が達成されることを理想としています。

ところが、競争が阻害されると企業努力が発生しないため、イノベーションが起こらなくなるため、経済が発展しません。従って、競争を阻害する「談合」=「悪」という構図となります。

筆者はこの構図を簡単に捉えすぎると、別の問題が発生すると考えます。

仮に先に述べた

自由競争 → 企業努力 →イノベーション 経済発展

のサイクルが、一定のスピードで必ず起こるのであれば、資本主義経済は無敵の経済理論となります。この場合「談合」は経済発展を阻害する要因でしかありませんので、徹底的に排除されるべきです。

しかし、現実は違います。技術がある一定の水準まで達した場合、イノベーションが起こる速度を保つことは困難です。というか、ほぼ止まります

そうした経済環境下での競争は、いわゆる「値引き合戦」となります。利益を犠牲にするため、新たな技術開発に投資する資金も枯渇することから、よりイノベーションが生まれにくくなります。

こうして、正しいサイクルを発生させるための、資本主義システムが負のサイクルを生み出す仕組みへと変化してしまう

本書の登場人物も、本来談合はあってはならないもの、としながらも、「今は必要だ」というスタンスを取っています。それは、談合をなくしたところで、イノベーションが起こる正しい資本主義のサイクルを起こせる仕組みが出来上がっていないからです。

金に集まる者は、金がなくなった途端、いなくなる。だから最初から金などないほうが本当の政治ができるはずだと

イノベーションが起こる、正しい資本主義のサイクルを起こせる仕組みとは何でしょうか?また、それを実現するために必要な要素は何でしょうか?

筆者は海外でのビジネス経験が皆無なため、2018年現在の日本をベースとして考えざるを得ませんが、その解は「発注者側のスキル」であると考えます

現状、発注→受注の流れにおいて、発注された仕事における責任は全て受注者側が負う構造になっています。従って、ある事業におけるイノベーションも受注者側に全てが丸投げされ、技術内容もよくわからない発注者側の担当者が「コストだけ」を見て発注するという場面が多く見られます

そんなことはない場合も多くあるのかもしれませんが、少なくとも筆者の環境では、発注者サイドで担当業務に精通した人間は、あまり見かけません。

発注者からすれば、「お金を払っているのだから、業務内容については、業者が全て責任を持つべきだ」という論理があり、またこれも今までは正しかった形態だと思います。

しかし、イノベーションのスピードが明らかに落ちてきた現代においては、発注者側も受注者が提示している条件(値段)が妥当なものか、正常な競争を阻害するほどの、赤字入札なのか?を見極める目が必要になってきていると感じます

建設業界で言えば、工法の安全性や、現在の材料価格の相場観、工期の現実性も踏まえて、入札事業者を判定すべきです。

さらに言えば、そのような「スキルのある発注者」の元には、優秀な技術を抱えた事業者が集まり、結果的に発注者の利益にもなるのではないか?と考えます。

本記事のタイトルにしているセリフ

「金に集まるものは、金がなくなれば消える。金などないほうが本当の政治ができる」

これは政治の話ですが、ひょっとしたらビジネスにも転用できるのかもしれません

札束で頬を叩くような発注者からは、金がなくなったら、誰も集まらない。業務のクオリティで判断する発注者のもとには、金がなくとも人も技術も集まってくる

少なくとも、技術者であれば、技術の中身もわからず、ただ価格のみを評価する発注者よりは、儲けが少なくとも技術の内容をきちんと評価でき、お互いに尊厳を保ったまま仕事ができる相手を選びたいと考えるはずです。

少々、青臭いことばかり書いてしまいましたが、今後は「いかに上手く発注できるか」が事業者の競争力として大きなウエイトを占めるようになるのでは?と考えています。

以上、まぁ一番ラクなのは、「接待営業」で仕事が取れることなんだけどなぁ、というお話でした。

■作品;鉄の骨

■著者;池井戸潤

■種類;経済小説,エンタメ

■刊行;2009年10月

■版元;講談社

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